はーもにか吹きはかく語りき

静岡県浜松市在住ロードバイク乗りの雑記帳です 合氣道とタティングレース、音楽や読書の話も

自分で決める

つい最近、調べ物ついでにこんなサイトを見つけました。

叱ってちょーだい(リクナビNEXT)

本にもなっているようですから、

知ってる方が多いのでしょうが。

転職や仕事、その他もろもろの悩みに著名人が喝を入れるというもので、

回答がなかなか面白いです。

「なるほどー」と思うものから

「うーん、ちょっと納得行かないゾ」という回答まで様々です。

回答者も幅広いジャンルから多数なので

読み比べると、その人となりが垣間見れます。

で、思ったのは

たぶん記事の掲載年と相談者の年齢から

自分に歳が近い相談者が多いみたいですが、

みんな自分の考えとか意思みたいなものが無いのかなー、ということ。

回答者じゃないですが「そんなことも自分で決められないのか?」と

少々呆れてみたり。

思うに、「空気を読む」ということに慣れすぎて

自分の意見を持つことをわがままみたいに感じていたり、

自分の気持ちに蓋をしてしまうことが当たり前になっているのかも。

わがままというのは、彼氏に

「今日、どこでご飯食べようか?」と聞かれて

「うーん、どこでもいいよぉ^^」とか答えておきながら

ラーメン屋に連れて行かれるとムクれる女子のことであって、

「美味しいパスタ屋知ってるからそこに行こう」

「新しいカレー屋が出来たから行ってみよう」

「「さわやか」のげんこつハンバーグが食べたい」

とか、自分の気持ちを言うことはわがままではありません。

たとえ、

パスタ屋が相手のお気に召さなかったとしても

新しいカレー屋がハズレだったとしても

「大人の女がげんこつハンバーグかよ?」とドン引きされてもw

怯むことはありません。

そこで学びや気付き、意見の交換が生まれるのですから

生産的じゃありませんか。

「どこでもいい」「何でもいい」「どっちでもいい」

と、自分の意見を言わないほうが余程幼稚というものです。

まぁ、本当にどっちでもいいことなら別ですが。

「空気を読む」というのは、一見周りに気配りができているようだけど

行き過ぎると自分の意見を持たない

中身の無い人間を量産することになると思う。

レストランで自分のオーダーすら自分で決められない人が

就職や転職など人生の大きな決断を自分でできるとは思えません。

どんなに小さなことでも

自分のことは自分で決めるように心掛けたいと私は思っています。

自分の気持ちを一番に大事にしたいものです。

自分の好きなことって、

そういう選択の積み重ねで見つかるものじゃないでしょうか?